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自然との共存について、少し考えてみた

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三賀日も終わり、皆様はよい年を迎えられただろうか。
今は様々な理由で、海に潜ってないのだが、
数年前まで、年末から正月にかけては、
高知県柏島の海で過ごすのが恒例であった。
真冬であるにも関わらず、スクーバダイビングで年を越していた。

海に潜ってみると、陸上で生活しているだけでは絶対に気がつかない様々な事に巡り会える。
その一つに、人間が原因の環境破壊をこの目で見ることができる。
まずは、釣り人が残した針やオモリの付いたテグス、浮き、果ては撒き餌杓までがある。
高知県柏島、後浜の海中は、広大な珊瑚礁で有名だったのだが、
このサンゴに絡み付いたテグスや、錆びた針が無数に見ることができる。
サンゴ達はそのままの状態で成長し、テグスなどの仕掛けを包含したまま成長しているものも各所で見られる。
また、不自然に折れたり崩れているサンゴも見ることができる。
これは低いスキルや、不注意によるもので、ビギナー、ベテランを問わずダイバーの仕業である。特に連休後の後浜は、ボキボキに折れたサンゴが各所で散見された。
台風の後は、その猛烈な波によって折れる場合もあるが、それは何年かに一度の稀なケースである。
さらには、不法投棄。
どのような理由かは判断しかねるが、明らかに投棄された、船舶や養殖設備の一部などである。
ただしこれらは、必ずしも破壊につながっているものばかりではなく、
漁礁となって不本意ながら自然と共存している場合があるのも事実である・・・。
とにかく人が踏み入るところは、必ずその痕跡があるものだと感じていた。
今年は秋から冬にかけて、ひょんな事から沢山の山の幸を頂いた。
猪、鹿、鴨など、僕が普通に生活している限りにおいて絶対に
口にすることができない貴重な山の恵みである。
これらはすべて銃で仕留められるのだが、その猟をされる方から興味深い話を伺った。
農作物に対する被害をくい止めるため、エゾシカが駆除される場合、北海道では鉛の弾丸の使用はできないという。
弾着後、捕獲し損ねた鹿の体内には弾丸の破片が残留する。
その鹿を鷲やキツネ、熊が捕食することは十分考えられることで、弾丸が鉛製であった場合、捕食者の体内にも鉛が蓄積されることになるのだそうだ。
そのような汚染の拡大を未然に防ぐ目的で、銅製の弾丸でないと猟の許可がおりないのだそうだ。
銅がどれだけ安全かは定かではないが、硬度が鉛より高いため、着弾に際して鉛ほど飛散しないのだという。
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写真は北海道でエゾシカ猟をする時に使用するライフルの弾薬である。
ライフルの弾丸を見たのは始めてであった。
食用や生活の糧として動物を狩ること、農作物の保護のために狩ること、様々なご意見はあるだろう、
しかし、鉛の弾を使用しないというのは、少なからず自然環境に配慮した事例なのだと思う。
釣りは、太古の昔から人類が行ってきた漁法の一つであり、文化でもある。
潜水作業の進歩は、橋梁建設などの土木事業や海洋資源の研究や開発に大きな発展をもたらした。
我々が文化的な生活を営むことができるのは、これらの技術の賜であることは紛れもない事実である。
しかし、限りある資源、美しい自然の保護ということもまた忘れることはできない重要なテーマである。
海では、これら自然の保護について、山ほど考慮されていないような気がしてならない。
何も過激な環境保護団体のような思想を奨励しているのではない。
バランスが大切なのだと言うことが言いたいのだ。
病原菌は確かに駆逐すべきものだと思うが、それ以外のバクテリアや微小な生き物は生活する上で欠くことのできない生き物たちである。
この空気中には、目に見えない様々な菌やバクテリアが存在している。
DSBシステムにて海水魚を飼ってみて、始めてこれらバクテリアの重要性を痛感した。
水槽の中で、サカナが糞を排出する(糞はたんぱく質である)。
バクテリア達はその糞(たんぱく質)を餌に最終的に無害な窒素まで分解を進める
「たんぱく質→アンモニア→亜硝酸→硝酸塩→窒素」
排出される糞が多くなるとそれに見合った数のバクテリアが増殖し、バクテリアの餌がなくなれば、その数も減少する。
そのバランスが崩れたときに、水槽は崩壊しサカナは死んでしまうのだ。
何事も、バランスがとれなくては、安定しないのだと言うことを我が家の海水魚水槽に教わった。
ちなみに下水の浄化は、まさにバクテリアや細菌なくしては成り立たないのである。
醤油、味噌、酒を代表する発酵食品は、酵母菌が活躍してこその恵みである。
家庭用洗剤において盛んに「除菌」という単語が目につく。
流しのヌメリは、バクテリアのバランスが崩れているから発生するのであって、妙な除菌などをしなければ発生しないのだ。
我々の生活は自然との共存で成り立っているということは誰も異論のないことだと思う。
水槽の場合は、また海水を汲んできて一からやり直しができる。
しかし、我々の生活の場である自然は、一からやり直すことはできないのだと思う。
今年は、年初からこんな事を考えてみた。
いろいろ書いたが、今年もよろしく願い申し上げる。

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